まだ有効なのよ、いとしいしと。

何年ぶり!?の投稿です。

昔、エヴァンゲリオンを完璧に解説解釈して、kappaとその友人たちをうならせた私ですが、あっという間にその内容を忘却してしまいました。

今度は忘れないように、書いておきます。



映画Rotkの最後に、ホビット庄の戦いシーンが必要だったと思う方は多いはず。
私もその一人です。

あの戦いにはどういう意味があるのか?ということを、少し考えてみました。

大きな戦いを経て成長したホビットが、自分たちの戦いを経て平和をかちとる。
それだけでは無いと感じます。
キリスト教的意味合いはつけていない、とトールキンはいっていますが、処々にキリスト教にかぎらずに、人間が求めてきた永遠性、美への渇望など原始的ともいえる「信仰」があるように思えるのです。

その中には、値(あたい)という観念をみることができるのではないでしょうか。
戻ってきた4人が経験したものを、ホビット庄の住民たちも知らなくてはならなかった。
守るものには、守るに値するものがある。
それを知るには、経験(傷み)が必要だった、

ホビット庄はじめ北方は、野伏(ヌメノーリアン)に長年守られてきました。
が、ホビットたちはそのことをまったく関知していませんでした。
ホビットは過去には生きない。刹那=現在を楽しむ種族、過去=pastはマゾム館に放り込んでしまう。

しかし、ホビット庄での戦いには、彼らは必要なものを(兜や鎧や弓矢)マゾム館からを引っ張り出し、過去にあった戦を思い出し(過去からの学び)ます。

この戦いは、ホビットに傷みと学びを与えたのでした。
そして、ビルボが始めたホビットの歴史をしるすこと、つまり赤表紙本の記録は、フロド、サムを経てホビットたちに伝えられることになります。
これもまた、第3紀から第4紀に時代が移り、世界とともにホビットも変化せざるを得ないということを示すことではないでしょうか。
赤表紙本は、ホビットの精神的な独立宣言でもあるのです。
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by crann_estel | 2009-10-26 00:51 | naur◆炎◆
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